Nagaoka Laboratory Graduate School of Information Science, Nagoya University

Life Phenomenon

生体高分子のダイナミクスや反応性に及ぼす補償溶質添加効果の理論的考察



図1 エクトインの分子構造

水分子は、タンパク質の構造安定性や、ダイナミクスに重要な寄与を及ぼしている。細胞内の水分子の性質を変化させる要因は様々だが、近年、補償溶質と呼ばれるある種のコソルベント(共溶媒分子)が、タンパク質の立体構造を安定化し、その生化学的機能を保護している事が明らかになった。補償溶質は、細胞が生産する低分子であり、高熱や高塩濃度などの環境ストレスに呼応して細胞内に蓄積される。補償溶質は生体高分子に直接作用せずに、溶媒分子(主に水分子)の性質を変化させることによって間接的にタンパク質等を安定化する。我々は、耐塩性細菌が細胞内に蓄積する補償溶質の代表格であるエクトイン(図1)に着目し、その水分子の挙動に与える影響を調査した。



図2 エクトイン添加によるタンパク質近傍の水分子滞在時間の増加

キモトリプシンインヒビター2(CI2)をモデルタンパク質として行ったエクトイン水溶液中および純水中の分子動力学シミュレーションから、溶媒分子の配位状態や動的挙動に特徴的な違いが現れた。エクトインは、タンパク質と直接には強く相互作用しておらず、エクトイン水溶液中ではタンパク質表面付近やその構造体内部で水分子の滞在時間が大きく増加している(図2)。これはタンパク質の立体構造を安定化する分子レベルの重要な要因と考えられる。現在は、CI2とは対照的に、エンケファリンのように小さく、フレキシブルなペプチドホルモンの水溶液中におけるダイナミクスや反応性に与えるコソルベントの影響を調査している。

【参考文献】I. Yu and M. Nagaoka, Chem. Phys. Lett., 388, 316 (2004).



図3 共翻訳的フォールディング

ミオグロビン部分鎖の安定性の研究

タンパク質はmRNAの情報を基にリボソーム上で翻訳される。その際に伸長途上にある部分鎖がリボソームから外へと露出し、部分的な「フォールディング」をするとされている(共翻訳的フォールディング)。実験的にはミオグロビン(※参照)に似たタンパク質がリボソームに結合したままヘムを取り込むことが示されており、またミオグオビン部分鎖の長さが長ければ長いほどヘリックス構造がより多くなることが示されている。しかしながらこのような断片的な情報しか得られておらず、実際にミオグロビンの共翻訳的フォールディングがどのように進行するのかは詳しくは分かっていない。


そこで部分鎖ミオグロビンの共翻訳的フォールディングの解明への第一歩として、ヘリックスのみから成る結晶構造が部分鎖においてどの程度安定であるのかを分子動力学シミュレーションを実行し調査した。その結果、短い部分鎖ほどヘリックス構造は不安定であるのに対し、長い部分鎖ではヘリックス構造が安定であることが示された。

【参考文献】M. Takayanagi, I. Yu and M. Nagaoka, Chem. Phys. Lett., 421, 300 (2006).


水溶液中ミオグロビンの振動エネルギー緩和過程に関する理論的研究


ミオグロビンは光吸収によりヘムに結合しているO2やCO等のリガンド分子が解離する。その際に余剰エネルギーが熱エネルギーの形で周囲の溶媒へと拡散していく。この光解離現象に伴って生じるミオグロビンの非等方的立体構造変形やヘムの余剰エネルギー緩和について分子動力学シミュレーションによる解析を行っている。このリガンド解離はヘモグロビンにおけるアロステリック効果発現のトリガーであり、タンパク質の機能と構造ダイナミクスの関連を明らかにする上で大きな意義がある。



図4 ヘムからの余剰エネルギー伝達の模式図

【参考文献】I. Okazaki, Y. Hara, M. Nagaoka, Chem. Phys. Lett., 337, 151 (2001).

※ミオグロビン

筋肉中で酸素を貯蔵する小さな球状タンパクで、153残基のアミノ酸ポリペプチドと鉄原子を中心に持つヘムから成る。A~Hの8本のヘリックス構造から構成されており、ヘムはHis93を通してペプチドと結合している。ヘム鉄原子にO2, CO, NO等の小分子がリガンドとして結合する。生体内では主に筋肉中に存在し、酸素分子を貯蔵する機能を果たしている。


図5 ミオグロビン

(優、高柳、岩橋)

蛋白(タンパク)質

アミノ酸が多数連結(重合)してできた高分子化合物であり、生体内環境において、特定の三次元構造を持つ。代謝、生体内情報伝達、生体構造形成など、重要な生命活動を担っている。連結したアミノ酸の個数が少ない場合にはペプチドもしくはポリペプチドと呼ばれることが多いが、名称の使い分けを決める明確なアミノ酸の個数が決まっているわけではない。

補償溶質

極限環境に生息する生物が、環境ストレスから生命活動を守るために細胞内に蓄積する低分子化合物の総称。代表的なものに、トレハロース、スクロース等の糖分子や、プロリン、グリシンなどのアミノ酸(モノマー)がある。補償溶質は、生体高分子に、直接作用することなく、タンパク質などの立体構造を安定化することが、実験的に知られている。

エクトイン

エクトイン(ectoine (2-methyl-4-carboxyl-1,4,5,6-tetrahydropyrimidine))は塩水湖や塩分を含んだ砂漠などの過酷な環境に生息する微生物などがもつ、代表的な補償溶質である。水溶液中では、双性イオン状態(単一分子内でプラスとマイナスの電荷が分離したイオン状態)となり、水分子を強く引き付ける。分子動力学シミュレーションを用いた当グループの研究によって、タンパク質表面の水分子の拡散が、エクトイン添加によって大幅に遅くなる事が明らかになった。

キモトリプシンインヒビター2(CI2)

さまざまな動植物に含まれる酵素の一種で、インスリンの分泌を促す作用がある。αへリックス構造とβシート構造を含む、小型の球状タンパク質。適度な大きさと、安定な立体構造を持つために、分子動力学シミュレーションにおけるモデルタンパク質として、頻繁に用いられる。

エンケファリン

5つのアミノ酸からなる小ペプチド(アミノ酸配列:TYR-GLY-GLY-PHE-MET(ここでTYR:チロシン、GLY:グリシン、PHE:フェニルアラニン、MET:メチオニンである。))。神経細胞膜上の受容体タンパク質(オピオイドレセプター)に結合し、モルヒネ同様の鎮痛作用を呈する。水溶液中で、様々な立体構造をとるために、分子動力学シミュレーションを用いた分子立体構造解析のモデル溶質として頻繁に用いられる。

振動励起

分子の振動状態が、振動がより激しくエネルギーがより高い状態(振動励起状態)へと変化すること。光・熱エネルギー等を与えることで引き起こすことができ、その後の緩和過程について様々な実験的・理論的手法により研究されている。

リボソーム

メッセンジャーRNA(mRNA)の情報を読み取りタンパク質を合成する粒子状分子で全ての細胞内に存在する。真核生物においては40スベドベルグ(S)と60Sの2つのサブユニットから構成されており、各サブユニットも数本のRNA分子と数十種類のタンパク質からなる非常に巨大な分子(RNA-タンパク質複合体)である。近年X線結晶解析により立体構造が判明したため、原子レベルからタンパク質合成機構を解明しようと世界中で研究が活発化している。

フォールディング

種々のアミノ酸が多数鎖状に連結(重合)してできた高分子化合物であるタンパク質が、特定の立体構造(3次構造)をとることをフォールディングといい、タンパク質の機能発現に極めて重要な役割を果たしている。どのようにして特定の構造へのフォールディングが生じているかは極めて重要な研究テーマとなっており、活発な研究が続けられている。

ミオグロビン

主に筋肉組織中に存在し、酸素分子を血液から受け取り必要となった時点で放出する蛋白(タンパク)質。酸素分子はミオグロビン中に埋め込まれている鉄ポルフィリン分子(ヘム)に結合している。153個のアミノ酸から成り、8個のαヘリックス構造から構成されており、X線結晶回折により初めて立体構造が明らかにされた歴史的なタンパク質である。

αヘリックス

アミノ酸残基がタンパク質中で右巻きの螺旋(らせん)構造をとっている箇所をαヘリックスという。αヘリックスは、n 番目のアミノ酸残基のカルボニル酸素原子Oと n+4 番目の残基のアミド基 NH が水素結合を形成しているため安定化している。この螺旋は3.6残基で1回転し、側鎖は外側に向かって飛び出している。

βシート

タンパク質を構成する複数のアミノ酸によって形成される特徴的な立体構造のひとつ。並行に隣り合ったペプチド鎖の間で、一方の鎖の N-H(アミド基)の部分が、隣接する鎖のC=O (カルボニル基)の部分と水素結合を形成し、全体として平面構造を形成している。多数の水素結合によって構造が保持されるため、非常に安定している。

残基

タンパク質を構成する基本単位であるアミノ酸1つ1つのこと。アミノ酸残基には20種類が存在し、周囲に水分子がいる状態が安定である親水性残基と逆に周囲に水分子が存在しないほうが安定な疎水性残基に分けることができる。

側鎖

アミノ酸残基(-NH-CH(-R)-CO-)のうち残基毎に異なっている(-R)の部位。側鎖が水素原子1個だけである最も単純なグリシン、5員環と6員環が縮合した大きなヘテロ環構造を持つトリプトファン、プロトンを放出しやすいカルボキシル基(COOH)を持つアスパラギン酸などがあり、側鎖の違いが残基の多様な性質を決定している。